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長崎地方裁判所 平成3年(わ)71号 判決 1993年2月05日

主文

被告人を無期懲役に処する。

理由

(本件各犯行に至る経緯等)

一  被告人の身上・経歴

被告人は、昭和二三年五月、長崎県東彼杵郡において、父正夫、母カズ子の長男として出生し、長崎県立諫早高等学校を中退した後、昭和四二年に陸上自衛隊に入隊し、約二年間在職した後除隊し、大阪や愛知県内で稼働するなどした後長崎に戻り、昭和四六年ころから長崎市内でホテルの従業員として稼働していたが、昭和五〇年に強姦、恐喝未遂事件を起こし、同年六月長崎地方裁判所で右各罪により懲役四年に処せられ、前刑の執行猶予も取り消され、大分刑務所に服役した。そして、被告人は、右出所した後長崎市内で金融業を営んでいたが、昭和五五年福岡で窃盗事件を起こし、同年七月福岡簡易裁判所で右罪について懲役一〇月に処せられ、福岡刑務所に服役した。その後、昭和五六年四月に右刑の執行が終了し、被告人は、実母カズ子の経営するスナックを手伝い、また別に自分でスナックを経営する一方で金融業を営んでいたものであるが、さらに、昭和五九年恐喝未遂事件を起こし、同年七月長崎地方裁判所で懲役一年六月の判決を受け、長崎刑務所に服役した。昭和六〇年一〇月仮出獄した後、被告人は、金融業をしていた知人の手伝いなどをしていたが、平成元年二月ころから、妻が入院するに至り、定職に就くこともなく、同年五月ころから生活保護を受けて生活していたものである。

被告人は、前述のとおり大阪で稼働していた際、本田由美子と知り合い、昭和四三年三月同女と結婚したが、昭和四七年六月協議離婚し、その後長崎に戻りホテルの従業員として稼働しているときに岡崎政子と知り合い、昭和四九年九月婚姻し、一子をもうけたが、昭和五九年には協議離婚した。その後、被告人は、昭和六一年一月、尾崎恵美子(以下「恵美子」という。)と婚姻したが、同女が鼻腔ガンとの診断を受け、平成元年二月ころから、長崎大学医学部付属病院(以下「大学病院」という。)に入院し、手術など治療を受けていたが、平成三年四月六日、同女は右病院で死亡した。

二  被害者両名の身上等

1  竹下カズ子(以下「竹下」ともいう。)は、昭和二年四月長崎県佐世保市で出生し、昭和二三年五月田中正夫と婚姻し、同人との間に被告人を筆頭に三人の子供をもうけたが、昭和四六年一〇月右正夫と協議離婚し、旧姓に戻り、長崎市内でスナックを経営するようになった。

そして、竹下カズ子は、昭和五六年二月から、長崎市城山町五番二〇号所在のスナック「淳」を経営するようになり、自宅に被告人らを同居させたこともあったが、昭和六三年ころからは、右スナック店舗内の和室で寝泊まりするようになっていた。

2  新宮千代美(以下「新宮」ともいう。)は、昭和三九年一一月長崎県北高来郡小長井町で出生し、高等学校卒業後、病院に勤めながら看護婦専門学校に通学し、昭和六〇年三月に准看護婦免許を取得し、昭和六三年四月から長崎市滑石所在の長崎北病院に勤務し、同年五月に正看護婦免許を取得し、右長崎北病院の看護婦として働いていた。

被告人は、鼻腔ガンの治療のため大学病院に入院していた恵美子の見舞いに行くうちに、平成元年二月ころ、恵美子と同室に入院していた新宮千代美と知り合った。

被告人と新宮千代美とは、当初は恵美子を交えた交際をしていたが、新宮が退院した後、同年六月ころ、大学病院近くで偶然出会い、その後、被告人は、同女を食事やドライブに誘い、やがて同女と情交関係を結ぶに至った。

新宮は、昭和六三年八月ころから、長崎市葉山町一丁目一一番一三号山下アパート一〇三号室で一人暮らしをして前記長崎北病院に勤務していたが、平成二年一一月ころから被告人が右アパートに住みつくようになり、被告人と同棲生活を送るようになった。

被告人は、平成三年二月ころからは恵美子の看病に行かなくなって、右新宮方に入り浸りの生活を送り、長崎北病院まで車で同女を送り迎えするなどしていた。

三  本件各犯行に至る経緯

1  被告人は、前記のとおり、平成元年五月ころから生活保護を受け、その他に収入のあてがなかったことから、自己の借金の返済などのため、まとまった現金を手に入れたいと考え、新宮に「友達からどうしても三〇万円貸してくれと泣き付かれた。」と虚言を用い、平成二年一二月二五日、同女名義で三〇万円を借り入れさせ、これを受け取り、生活費などに充てていた。

また、被告人は、新宮が簡単に三〇万円を貸してくれて、自分を疑っている様子も全くなかったので、もう少しまとまった金を新宮から引き出してみようと考え、新宮に「暴力団関係者から取立てを受けている。」旨虚言を用い、同女から、平成三年一月二四日、郵便貯金から引き出させて六六万円、同月二五日、銀行預金から引き出させて一四万円、同年二月六日、同女名義で労働金庫から借り入れさせて一九〇万円、合計二七〇万円を受け取った。

その後、被告は、大学病院に入院中の恵美子の命がもう長くはなく、いざという時の葬儀費用にすることも考え、同年三月下旬ころ、右二七〇万円のうち百数十万円を実母の竹下カズ子に預けた。

また、そのころ、被告人は、新宮から前記三〇万円の返済を迫られ、同女の面前で融通先の友人に電話で返済請求するかのように装って、未だ友人からの返済がない状況にあることを同女に信じさせようとしたが、同女から「当てにならない。」などと言われたことに立腹し、両手で同女の頸部を絞める暴力を加えた。

2  被告人は、前記のとおり、平成三年二月ころから、妻恵美子の看病に行かなくなっていたが、妻の父親の手前実母にでも病院に行かせようと考え、平成三年四月三日午前一一時三〇分ころ、前記スナック「淳」に実母竹下カズ子を訪ね、妻恵美子の看病のために自分に代わって病院に行くことを頼んだ。その後、被告人は、同日午後六時一五分ころ、新宮千代美を長崎北病院まで自己の使用していた普通乗用車(以下、単に「乗用車」ともいう。)で迎えに行ったが、昼間スナック「淳」を訪れたときに自分のバッグを置き忘れたのでないかと思い出し、これを取りに行くため、新宮を同車に乗せたまま長崎市城山町へ向かった。

同日午後七時ころ、被告人は、スナック「淳」の裏手路上に前記乗用車を駐車し、助手席に新宮を待たせたまま、スナック「淳」を訪れた。同店内には、奥の和室に竹下カズ子が一人でおり、被告人は、同女に昼間頼んだように恵美子の看病のために大学病院に行ったかを尋ねた。ところが、竹下は、「私も忙しかとよ。」と、看病には行っていない旨答えたので、被告人は、どうして自分の頼み通り病院に行ってくれないのか、竹下の態度に不審の念を抱き、ひょっとしたら預けていた現金も無断で同女に使われてしまっているのではないかと疑い、同女に現金を出して見せるように要求したところ、同女が「信用しとかんね。」などと言ってなかなか現金を出そうとしなかったことにますます不審の念を強め、同女に現金を出させて金額を数えたが、一七〇万円預けたはずの現金が一四〇万円しかなかったので、さらに同女を問いただしたところ、同女はそのような金は預かっていないなどと居直ったように言い返してきた。

右のようにして、被告人は、病院に看病に行くことを依頼したにもかかわらず、これに従わなかった実母竹下カズ子に腹立たしい思いを抱いた上、同女が預かっていた現金を被告人に無断で使い込んだものと思い、立腹、激昂し、後記判示第一の犯行に及んだものである。

なお、被告人は、判示第一の犯行後、竹下が動かなくなったのを見て急に恐ろしくなり、同女を和室内の炬燵の脇にもたせかけるような位置に座らせた上、店内にあったおしぼりなどを使って、同女の顔面や和室の絨毯上に付着した同女の血を拭き取り、店内にあった水玉模様の黒色手提げ紙袋の中に現金一四〇万円や同女に預けてあった預金通帳等を入れたほか、血を拭き取ったおしぼり等三枚と血が付着した自分の靴下を入れ、これを持ってスナック「淳」を出て、新宮を乗せたまま駐車していた前記乗用車に戻り、右紙袋をトランク内に入れて、その場を走り去った。

3  そして、被告人は、その日、新宮とともに長崎市平和町所在のホテルに宿泊し、翌四日、右ホテルを出て、一旦新宮方アパートに戻り、午前八時ころ、新宮を長崎北病院まで乗用車で送った後、再び新宮方アパートに戻って、夕方長崎北病院まで新宮を迎えに行ったほか、右アパートで過ごした。翌五日、被告人は、午前八時三〇分ころ、新宮を長崎北病院まで乗用車で送り、午後〇時三〇分ころ、半日勤務を終えた同女を迎えに行き、その後、同女とともに同女方アパートで過ごしていたが、夕食後新宮とともに雑談などをしていたところ、午後九時前ころ、テレビから、スナック「淳」で竹下カズ子の死体が発見された旨のニュースが流れた。

このニュース報道を見ていた新宮は、被告人に対し、「おいちゃん、お母さんじゃないと。」と尋ね、さらに、二日前に被告人がスナック「淳」を訪れたときのことについて、「おいちゃん。あんとき、ほら遅かったとの。おいちゃんが何かしたとじゃなかと。」と、竹下カズ子を死亡させたのは被告人ではないかという趣旨のことを問いただした。これに対し、被告人は、新宮に自己の犯行と疑われているものと思ったが、「俺じゃなか。俺が行ったときはお袋は元気にしとったばってんね。」と弁解したものの、新宮はなおも被告人を疑っている様子であった。

被告人は、やはり実母竹下が死亡したことが明らかになり、右のように自分を疑っている新宮の様子を見て、気持ちが混乱するうちに、「千代美は自分の犯行を察知してしまった。犯行が発覚した以上、千代美は自分に対する愛情を失い、自分から離れて行ってしまう。」と思い、また、同女がこの夜午前〇時から深夜勤務に就く予定であったことから、「このまま千代美を深夜勤務に行かせれば、自分に対する愛情を失った千代美は他人に自分の犯行を話すかも知れない。」と考え、口封じのために「いっそのこと千代美を殺してしまおう。」と新宮を殺害することを決意した。

そして、被告人は、新宮をいつものように長崎北病院まで乗用車で送るように装って同女を車に乗せ、車内で首を絞めて同女を殺害しようと計画し、同日午後一一時三〇分ころ、同女に「病院に送るけん。」と声を掛け、同女方アパートから約一〇〇メートル程離れた駐車場まで同女を連れ出し、乗用車内において、右計画通り、後記判示第二の犯行に及んだものである。

4  その後、被告人は、新宮の死亡を確認し、同女の死体を人気のない場所に捨てようと考え、同女の死体を助手席に座らせたままの状態で車を発進させ、国道二〇六号線を長崎市滑石方面に向かって進行させるうちに、以前新宮とともにドライブしたこともある長崎市樫山町付近の海の見える丘に行けば、人家もなく人通りも少なく、死体を捨てる場所として適当であろうと思い付き、同町方面に向かった。そして、被告人は、翌六日午前〇時一五分ころ、右樫山町二五〇五番二付近の市道に至り、道路北側のコンクリート蓋がされている側溝を見つけ、この側溝内に死体を捨てれば容易に発見されることはないであろうと考え、右側溝脇に新宮の死体を乗せた乗用車を停車させ、後記判示第三の犯行に及んだものである。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  前記犯行に至る経緯記載のとおり、実母竹下カズ子(当時六三歳)が被告人から妻恵美子の看病に行って欲しいと依頼されたのにこれに従わなかったことに腹立たしい思いを抱いた上、同女が被告人から預かっていた金員を被告人に無断で費消したと思い、これに立腹、激昂し、平成三年四月三日午後七時三〇分ころ、長崎市城山町五番二〇号所在スナック「淳」店舗内奥和室において、座っていた同女の頭部、顔面を手拳で数回強打し、右足で同女を蹴飛ばしてその後頭部をテーブル及び木製物入れに打ち当てさせ、さらに、胸部、背部等を多数回にわたり強く足蹴にし、踏み付けるなどの暴行を加え、よって、そのころ、同所において、右暴行に基づく硬膜下血腫により同女を死亡するに至らしめた

第二  前記犯行に至る経緯記載のとおり、新宮千代美(当時二六歳)と同棲していたものであるが、同年同月五日午後九時前ころ、テレビで前記竹下が死体で発見された旨報道され、やはり実母竹下が死亡したことが明らかになり、気持ちが混乱するうちに、右新宮から被告人が右竹下を死亡させたのではないかと問われて自己の犯行が同女に察知されたと思い、その発覚を防ぐためには同女を殺害してその口を封じるほかないと決意し、同女を勤務先に車で送るように装って、同日午後一一時三〇分ころ、同市葉山町一丁目五五四番地一八所在の駐車場に同女を連れ出し、同所に駐車中の前記乗用車内において、同女の頸部を両手で強く絞めつけて、その場において、同女を頸部圧迫により窒息死させて殺害した。

第三  前記犯行に至る経緯記載のとおり、同月六日午前〇時一五分ころ、同市樫山町二五〇五番二先の長崎市道において、同道路側溝のコンクリート蓋を動かし、前記乗用車内から前記新宮の死体を引きずり出し、抱え上げて仰向けの状態でその死体を右側溝内に押し込み、動かした右コンクリート蓋を閉め、もって死体を遺棄した

ものである。

(証拠の標目)(省略)

(判示各事実について被告人を犯人と認定した理由)

被告人は、捜査段階においては本件各犯行について詳細に自白をしていたのに対し、公判廷においては全面的に本件各犯行を否認し、大要、(1)本件尊属傷害致死事件について、犯行日時ころ、スナック「淳」に赴いたことは間違いないが、店内で被害者竹下カズ子に会ったときには既に同女は負傷していたもので、同女に対して自己が暴力を振るったことは一切ない、(2)本件殺人及び死体遺棄事件については、犯行日時ころ、被害者新宮千代美は一人で出勤したものでその後同女が行方不明になり、その原因について自分は全く関係ない、(3)本件各犯行を認めた各自白調書については、いずれも長崎県警浦上警察署の取調官の暴行、脅迫に耐えかねてやむなく虚偽の自白をしたものである旨弁解し、弁護人も、被告人の前記自白は任意性及び信用性がないこと、その他に本件各犯行と被告人とを結びつける的確な証拠が存在しないことなどを理由として被告人は無罪である旨主張している。

当裁判所は、審理を遂げた結果、本件各犯行の犯人が被告人であることは疑いを容れないとの結論に達したものであり、以下、当裁判所の認定について説明を加えることとする。

(なお、以下、説明の便宜上、判示第一の竹下カズ子に対する尊属傷害致死事件を、「尊属傷害致死事件」と、判示第二及び第三の新宮千代美に対する殺人、死体遺棄事件については、これを、単に「殺人等事件」ともいう。なお、証人又は被告人の供述については、公判廷におけるものと公判調書中の供述部分とを区別しないで、単に証言又は供述という。また、年月日のうち、単に月日のみを挙げる場合は、平成三年の意とする。)

第一  本件両事件の概要及び本件捜査の経緯

一  尊属傷害致死事件について

前掲関係各証拠及びその他取調済みの関係各証拠によると、以下の事実が認められる。

1 事件発覚の経緯等について

四月五日午後七時一五分ころ、薬品会社の営業社員である池田幸一は、家庭常備薬の入替え及び集金のため、長崎市城山町所在のスナック「淳」を訪れたところ、店のネオンが消えていたものの、入口ドアが簡単に開いたことから開店の準備をしているものと考え、店内に入った。同人は、店内に入ると、店内は照明が点いておらず、数回声を掛けたが応答がなかったので、照明を点け、奥の和室のドアを開けたところ、炬燵の脇にもたれるように座っている状態の竹下カズ子を見つけ、さらに声を掛けたが反応がなかったので、近所の人を呼びに行った。近所の人達が店内に入り、再度声を掛けたりしたが、これにも反応がなかったので、救急車の手配や警察への連絡がなされた。

同日午後七時一七分ころ、スナック「淳」の隣で飲食店を経営する松本洋子から一一〇番通報を受けた長崎県警浦上警察署は、直ちに署員をスナック「淳」に急行させ、現場及び被害者の見分並びに現場周辺地域における聞き込み等の捜査を開始した。

2 現場の状況等

現場付近は、長崎城栄商店街通り東側を走る県道長崎式見線沿いの通称国際体育館前通りの住宅街に飲食店街を形成し、現場建物は、木造(一部鉄筋)二階建ての建物で、飲食店が数軒営業しており、現場であるスナック「淳」は、一階表通りから通路を通って奥の位置にあり、店内出入口側に店舗、奥に和室の居間がある。

竹下カズ子は、発見された当時、右和室の居間に、右顔面及び右側頭部を炬燵台に載せ、脊中をテーブルの角の辺りにもたれかけた状態で倒れ込んでおり、顔面左側に赤紫色の痣が認められ、左眼の下は黒ずんで膨張し、鼻孔から出血し、下方に垂れた状態で血液が凝固していた。そして、同女が倒れ込んでいる炬燵掛け布団やテーブルに血痕が付着しているのが発見され、同室奥の隅に歯牙が四本ほど散乱し、炬燵上に割れた湯飲み茶碗が置かれていた。

なお、その後、同月七日、現場において、居間に敷きつめられていたカーペットに、ルミノール化学発光試験を実施したところ、ほぼ中央部に表面及び裏面ともに大豆大の血痕が付着しているのが発見され、その後、炬燵掛け布団及び右カーペットに付着した血痕の鑑定が実施され、いずれも竹下カズ子の血液型と同じO型の血液であることが認められた。

3 死体の状況等

竹下カズ子の遺体は、発見されて間もなく死体検案がなされ、四月四日午後七時ころに死亡したことが推定されたが、同月六日、右死体の解剖がなされ、鑑定の結果、死後解剖着手時までに二日ないし三日位経過していたものと推定された。同死体に存する主な損傷としては、頭部、顔面の損傷及び歯牙の欠損のほかに胸腹部及び背部への鈍体による狭圧作用によると考えられる左右肋骨の多発骨折並びに胸骨骨折が認められ、四肢にも鈍体の作用によると思われる多数の損傷(変色、皮下出血、筋肉内出血等)が認められた。同女の死因は、頭部、顔面への鈍力の作用に基づく右硬膜下出血(血腫)である。これらの頭部、顔面の損傷は多数認められ、自為的よりはむしろ他為的に成傷された可能性が大きいことが推測された。

4 以上からすると、何者かがスナック「淳」を訪れ、同女は、その者から殴打などの暴行を受け、死亡したことが推認できる。

二  殺人等事件について

前掲関係各証拠及びその他取調済みの関係各証拠によると、以下の事実が認められる。

1 事件発覚の経緯等について

新宮千代美は、四月六日午前〇時から、深夜勤務が予定されており、五日の午後一一時過ぎには、長崎北病院に出勤することになっていたところ、何らの連絡もなく欠勤した。翌日同僚の看護婦等が新宮方を訪れたが、新宮は不在で、その後も連絡がないことから、同月七日、長崎北病院看護婦婦長永川綾子から、新宮千代美が行方不明になっている旨の届出が浦上警察署になされた。

それを受けて、浦上警察署は、関係者から事情聴取を行ったところ、同月六日に同僚の看護婦等や千代美の実弟が新宮方を訪れた際、同女は不在であったが、中年の男性が一人でおり、同女の行方について同人も知らない旨の説明を受けたことが判明し、また、新宮が最近男性と同棲しており、職場まで同人から送り迎えされていたとの情報を入手した。後記のとおり、被告人は、竹下カズ子に対する傷害致死事件で、同月七日逮捕され、引き続き勾留され、右事件について取調べを受けていたものであるが、取調官は、関係者の事情聴取によって、被告人が新宮千代美と同棲生活を送っていたことが判明し、新宮が行方不明になっていることについても被告人が関係しているのではないかとの疑いを抱き、同月一三日の取調べの際、竹下に対する傷害致死事件について犯行の自供を得た後、新宮が行方不明になっていることについても被告人を追及したところ、新宮千代美を殺害して遺体を棄てた旨の供述を得るに至った。

その後、取調官は、被告人に対し、新宮殺害の日時、場所、殺害方法、死体の処置等について、さらに取調べたところ、死体遺棄現場について供述が得られたので、浦上警察署の署員数名は、被告人を連れて、同日午後一一時五〇分過ぎころ、同署を出発し、被告人の指示に従い、翌一四日午後二時四〇分過ぎころ、長崎市樫山町二五〇五番二先市道に到着し、同道路側溝内に新宮の遺体を発見した。

2 遺体発見現場の状況

新宮の遺体が発見された現場は、長崎市の西端にあたる通称三重地区南西部の国道二〇二号線を南方に入った海岸沿いにある畦町部落から樫山町に通じる市道を約九〇〇メートルほど進行した道路北側側溝である。

現場道路は、荒れ地の畑の中を走る人車ともに通行の少ない市道であり、道路と並行して側溝があり、同側溝には、一部途切れている部分もあるが、コンクリート製の溝蓋が敷きつめられている。

遺体は、道路から一見しただけでは確認できないが、溝蓋の途切れているところから覗くと、約一メートルほど奥に、仰向けの状態で置かれており、顔面などに白カビの発生や変色等が確認された。

3 死体の状況について

新宮千代美の遺体は、発見当日、長崎大学医学部法医解剖室において、解剖の上、鑑定がなされた。

その鑑定の結果、同死体に存する主な損傷としては、顔面に著名なうっ血が、口腔内膜下、側頭筋々膜下等の粘膜下には多数の溢血点が認められ、また、前頸部左側よりに変色が、左胸鎖乳突筋、左胸骨舌骨筋、左胸骨甲状筋、左甲状舌骨筋に出血が認められ、左舌骨が骨折していることが認められた。さらに、顎下腺周囲のリンパ節は頸部(下部)のリンパ節に比し著明にうっ血しており、声門下部にも多数の溢血点及び出血が認められた。死因は頸部圧迫による窒息死であり、扼頸による圧迫である可能性が大きく、死後解剖時まで五日ないし一〇日位経過していたものと推定された。

三  本件捜査の経緯

前掲関係各証拠及び司法警察員作成の四月六日付け(抄本、甲1)及び同月一四日付け(甲52)各捜査報告書並びに山田則正の証言(第六、第七、第一五、第一六回公判)及び山下智の証言によると、以下の事実を認めることができる。

1 被告人を容疑者として特定した経緯

前記のとおり、四月五日午後七時一七分ころ、一一〇番通報を受けた浦上警察署は、直ちに署員をスナック「淳」に急行させ、現場及び被害者の見分並びに現場周辺地域における聞き込み等の捜査を開始したものであるが、現場の状況や死体の外部所見などから他殺の疑いを持ち、併せて死体の司法解剖手続をなした。

そして、警察とすれば、関係者等への連絡などをしたが、竹下カズ子の長男である被告人の所在が明らかにならず、妻恵美子が当時入院していた大学病院へも全く訪れた様子がなく、事件がマスコミなどによって報道されこれを知った親族などが駆けつける中で、被告人から何の連絡もなく所在不明の状態が続いていたことから、被告人が本件に関係するものとして嫌疑を抱くに至り、被告人が使用していた乗用車の登録番号などを手配し、同人の所在捜査を開始した。

こうして、被告人の所在捜査が開始され、浦上警察署捜査官山下智外一名は、同月六日午後二時三〇分ころ、長崎市柳谷町五番一三号塩塚アパート前交差点付近で、被告人の使用車両を発見し、これに捜査用車両を接近させて職務質問を実施しようとした。ところが、右発見にかかる車両は、発進して一方通行路を逆行するなど走行したため、これを追跡し停車させて、職務質問を実施したところ、運転免許証から被告人であることを確認した。そこで、右捜査官山下らは、被告人を右捜査用車両に乗車させ、浦上警察署まで同行させ、被告人使用車両も同署まで搬送した。

その後、同署において、被告人から事情聴取したものの、被告人は曖昧な供述を繰り返していた。これと並行して、同日午後八時四五分から、被告人の使用車両内の捜査差押及びその実況見分が実施された結果、同車トランク内から血痕様ものや毛髪類が付着しているおしぼりや靴下が発見された。そこで、直ちに、右差押物の鑑定が依頼されるとともに、右差押かられたおしぼりが被害者方で使用しているおしぼりと類似することが確認された。

以上の推移の後、浦上警察署は、本件竹下カズ子を死亡させた事件の犯人は被告人であると判断し、同夜、傷害致死事件として、被告人に対する逮捕状を請求し、これが発付された。

2 被告人の逮捕・勾留

被告人は、翌七日午前一時二五分、浦上警察署において、竹下カズ子に対する傷害致死事件の被疑者として通常逮捕され、その後、同署留置場に勾留され、勾留期間延長の上、四月二六日、尊属傷害致死の罪名で長崎地方裁判所に起訴された。

その間、四月九日、被告人の使用車両を検証した結果、運転席シート半カバーや助手席マットなどから血痕が、ルームミラー表面に足こん跡がそれぞれ発見され、また、フロントガラス内面に履物で擦ったような痕跡が認められ、右カバーなどを差押え、それぞれ鑑定を実施し、前記のとおり、同月一三日、被告人が新宮千代美を殺害したことを自供し、さらに、それに基づいて新宮の死体を発見し、検証並びに鑑定が実施されていた。

以上の捜査の推移の後、尊属傷害致死事件で被告人を起訴した同日、浦上警察署は、新宮千代美に対する殺人等事件について、逮捕状を請求し、これが発付され、被告人は、同月二六日午後七時、同署で逮捕され、引き続き浦上警察署留置場に勾留され、勾留期間延長を経て、五月一八日、殺人及び死体遺棄事件で、長崎地方裁判所に起訴された。

3 被告人の供述経過について

(一) 尊属傷害致死事件についての供述内容

被告人は、逮捕時の弁解録取に際しては、「そのようなことがあったかもわかりませんがよくわかりません。」と供述し(四月七日付け弁解録取書、乙2)、同月七日の捜査官の取調べに対し、身上経歴を供述したほか(同日付け員面調書、乙23)、「その時「淳」に行ったということは昨晩も話しましたが、実母のことについてはもう少し考えさせて下さい。お願いします。自分自身の頭を整理します。」と供述し(同日付け員面調書、乙24)、検察官の弁解録取においても、「私がしたことかしてないことかについて今ははっきりとは答えられません。」と供述していた(四月八日付け弁解録取書、乙3)。その後の検察官に取調べに対し、被告人は、四月三日午後七時ころ、スナック「淳」に行ったが、その際、竹下は、口から出血するような怪我をしており、自分もおしぼりで血を拭いてやり、そのおしぼりを紙袋に入れて持って出て、車のトランクに入れていたのを押収された旨供述したが、検察官から、竹下に乱暴を加えていないとはっきり言えるのか、との問いに対し、やはり、「今は乱暴していないとも言えませんのでもう少し時間をください。」と供述していた(四月九日付け検面調書、乙4)。

そして、四月一三日、浦上警察署における取調において、被告人は、「申しわけありませんでした。今まで黙っていましたが、お袋を殴ったりして死なせたのは私です。その時、お袋と口論して、お袋の頭とか顔を叩いたり体を足で蹴ったりしました。まさか、このような叩いたり蹴ったりしたことで死ぬとは思ってもいませんでした。」と自己の犯行であることを認めるに至った(四月一三日付け員面調書、乙5)。

その後、被告人は、自白に至った経緯(四月一七日付け員面調書、乙6)をはじめ、犯行動機、犯行状況、着衣その他の所持品等の確認、説明などの供述をし(乙25ないし45)、同月二三日には、犯行直前直後の行動状況や犯行について、現地において再現して説明した(四月二五日付け実況見分調書、同日付け検証調書、甲37、38)。

検察官の取調べに対して、被告人は、四月二三日及び二四日の二日にわたり、犯行に至る経緯、動機、犯行態様その他犯行状況、犯行後の状況、証拠品の説明等について詳細かつ具体的な供述をしている(四月二三日付け及び同月二四日付け検面調書、乙7、8)。

(二) 殺人等事件についての供述内容

被告人は、前記のとおり、四月一三日、竹下に対する傷害致死の事実を自供した後、新宮千代美を殺害して死体を棄てた旨殺人及び死体遺棄事件につても自供するに至り、図面を書いて捜査員を現場まで案内した(四月一三日付け員面調書、乙9、同日付け見取図、乙65、同月一八日付け実況見分調書、甲55)。その後、被告人は、逮捕時の弁解録取においても新宮千代美を殺害したことを認め(四月二六日付け弁解録取書、乙47)、同じく検察官の弁解録取においても殺害の事実を認め(四月二八日付け弁解録取書、乙63)、その後も、死体遺棄現場を訂正する調書を取られたほか(四月二八日付け員面調書、乙10)、犯行動機、犯行状況、その他所持品等の確認、説明などの供述をし(乙48ないし61)、五月九日には、犯行直前直後の状況、殺人現場及び犯行前後の状況、犯行の手段方法、死体遺棄現場の確認及び手段方法等について、現地において再現して説明した(五月一七日付け、同月一九日付け、同月二四日付け及び同月二二日付け検証調書、甲69ないし72)。

検察官の取調べに対して、被告人は、五月一一日及び一四日の取調べにおいて、犯行に至る経緯、動機、犯行態様その他犯行状況、犯行後の状況、証拠品の説明等について詳細かつ具体的な供述をしている(五月一一日付け及び同月一四日付け検面調書、乙11、12)。

第二  被告人の自白の任意性について

被告人は、右に見たとおり、四月七日に逮捕された後、本件尊属傷害致死事件の犯行について、これを明確に否認するわけでもなく、曖昧な供述を続けていたが、同月一三日以降は、本件各事件との自己の犯行であることを認める旨の自白をしているところ、弁護人は、被告人の自白には任意性がない旨主張し、被告人も、公判廷において、捜査官の暴行、脅迫に耐えかねて偽りの自白をしたものであると供述しているので、右任意性の有無について、ここで検討を加えておくこととする。

一  弁護人の主張及び取調べ状況に関する被告人の供述

任意性に関する弁護人の主張及び取調べ状況についての被告人の供述は、大要、被告人に対し、勾留後の四月一〇日から浦上警察署において本格的な取調べが開始されたが、当初より、取調官の山田及び谷口から、日常的に暴行を受け、自白調書が作成された同月一三日に加えられた暴行が最も強力なもので、被告人を取調室内の床に押し倒し、被告人の身体に馬乗りになるなどして約二〇分間にわたり、殴る、蹴るなどの暴行が加えられ、その際、右眼を手拳で強打されたことにより瞼部分を中心にどす黒く腫れ上がる程の傷害を受け、また、右取調官の山田及び谷口から、夜間に被告人の身体を抱え上げて取調室から屋上の上がり口まで連行されて屋上からつき落とす、被告人が屋上から落ちて死んでも誰も自殺したとしか思わないなどの脅迫も行われ、その際の暴行などによって、当日被告人が着用していた緑色柄物長袖シャツ(以下、単に「本件シャツ」という。)のポケットが破れ、左袖が取れて外れてしまったものであり、被告人の自白は、右暴行、脅迫により強要された結果得られたものであるというのである。

さらに、弁護人は、(1)前記のとおり、四月六日午後二時過ぎころ、警察官山下らが被告人使用車両を発見、追跡した上で、これを停車させ、浦上警察署へ同行されているが、これは事実上の強制連行であり、不当な逮捕行為であって、到底適法な任意同行ではない、(2)被告人は、右のように、不当に身柄を拘束された当初から、取調官の山田らに対し、特定の弁護士らを指名して連絡をとるように要求していたが、右山田らはこの要求を無視して一切の連絡をとらず、被告人の弁護人選任権を不当に侵害した、(3)被告人は、逮捕前日の四月六日から、長時間にわたり深夜まで取調べられ、このような取調べが連日なされていた、(4)被告人は、自供に至る四月一三日の前にいわゆるポリグラフ検査を受けていたが、取調官の山田から検査結果に反応が出た旨の虚偽の事実を聞かされ、いわば偽計によって自白が強要された、(5)検察官による取調べの際には暴行、脅迫を受けたことはないが、右取調当時も被告人は浦上警察署の留置場に留置されており、浦上警察署における暴行、脅迫による威圧のもと、被告人は、警察に対する供述と同様の供述をしたにすぎない、等主張し、被告人の自白を内容とする員面調書及び検面調書はすべて違法な捜査、取調べの結果であり任意性を欠くもので、本件の証拠より排除されるべきであるというのである。

二  そこで、検討するに

1 まず、取調官の暴行、脅迫によって虚偽の自白をさせられたという弁護人の主張及び被告人の供述についてみるに、

(一) 河野峰子作成の診断書(甲92)及び診療録(写し、甲96)並びに同人の証言、北村修の証言、当裁判所が長崎拘置支所に提出を命じて押収した長袖シャツ一枚(平成四年押第一九号の1、弁4)、弁護人松永保彦作成の「写真撮影について」と題する書面(弁5)によると、(1)長崎大学医学部法医学教室所属の医師北村修は、浦上警察署の北野警視からの依頼で、四月一八日、被告人を診察したところ、被告人の右眼の上下瞼の周辺部が変色し皮下出血し、眼球の結膜が充血しやや腫脹していると判断していること、(2)眼科の専門医である河野峰子は、浦上警察署の依頼を受け、四月二〇日及び同月二五日の二度にわたり被告人を診断し、被告人の右眼について、打撲による球結膜下出血及び眼瞼皮下出血と診断していること、また、(3)被告人の所持品である本件シャツを見分すると、同シャツの左袖は肩の部分から外れ、ポケットも破損していること、以上の事実は、弁護人の前記四月一三日に取調官から暴行を受けた旨の主張や被告人の供述を部分的に裏付けるようにも見られる。

(二) しかしながら、他方において、被告人の取調べを担当した長崎県警の山田則正警察官の証言内容は、前記被告人の供述と大きく異なる。

すなわち、右山田の証言によると、被告人の取調べの経過等は、(1)当初の任意同行時及び逮捕当時から、犯行について曖昧な供述をしており、四月一〇日から本格的に被告人の取調べを開始したが、犯行を全面的に否定するわけでもなく、真偽を追及すると待ってくれとの返答に終始し、一〇日の段階では、明日、明後日、明々後日までまってくれとの供述をしていた、(2)一一日、一二日と取調べを継続したが、被告人は、一三日まで待ってくれとの返答を続けていた、(3)一三日に至り、午前中から取調べを開始したが、なおも具体的な供述をしない被告人に対して、一三日には本当のことを話すといっていたではないかと説得すると、被告人は、竹下を死亡させるに至った犯行について徐々に供述を開始し、午後の八時か九時ころ、自供調書を作成した、(4)その後、新宮千代美が行方不明になっていることについて、被告人と同女が同棲していたことが判明しており、被告人の車のトランクから大金が発見されていたことから、被告人を最重要の参考人と考え、右竹下の事件についての調書作成終了した後、被告人に対し、新宮千代美をどこに連れていったのだと詰問したところ、被告人は、急に動揺して立ち上がって逃げようとし、椅子に腰紐でくくり付けられていたため、椅子に躓いたように机の左側に前のめりになって倒れ込み、そこで机の左隅の角付近で右眼のあたりを打ち、体を仰向けにさせて床に倒れ込んだまま暴れ、「おれは、おれは」というようなことを何回も叫んだ、これを同じく取調べに当たっていた谷口と一緒に被告人を押さえ、一〇分ないし二〇分位して、被告人が落ち着いて椅子に座り直してから、「すみません、分かりました。千代美は私が殺しました。」と自供した、(5)右自供により、調書を作成し、新宮の死体を遺棄した現場について簡単な図面を書かせて説明させ、午後一一時過ぎころ、被告人を連れて、右死体の発見及び確認のため、署を車で出発した、(6)その出発に際して、被告人の着ていた白色トレーナーの背中が床に倒れて暴れた際に汚れたので、着替えさせている、(7)一三日の取調べ終了後、被告人が右眼のあたりを打ったことを上司へ報告したが、被告人が診察を拒否するのでそのままにしていたところ、右眼の周りが日毎に紫色になりかかっていたので、上司に診察を受けさせるように進言した、(8)右のように、一三日に本件両事件について自供して以降、被告人は素直に供述をし、その供述が内容において後退したことはなかった、というのである。

(三) そこで、まず、被告人の右眼の負傷の原因について吟味するに、被告人が四月一三日夜半の取調べの際に成傷したことは被告人の供述及び山田の右証言により明らかであるところ、被告人は、右眼周囲の負傷が取調官の山田などから受けた極めて多数回にわたる暴行の証左である旨主張するが、同月一八日被告人の右眼を診察した前記北野医師は、被告人の右眼の負傷の程度、治療の要否の診断と、もし治療が必要であるならば治療を受けるように勧めて欲しいとの依頼を受け、被告人を診察した結果、本件右眼の負傷は、右上下眼瞼周辺が紫褐色調に変色しており、受傷後三、四日以降一週間以内の傷で、表面の平滑なもので打撃し、その回数は一回程度のものである、被告人の問診及び身体の動作等を見た限りでは、右眼以外の顔面及び四肢には、負傷を受けたと思われるような異常は認めなかった旨証言しており、被告人が、四月一〇日ころから、一三日以降も、毎日顔面を数回殴打され、腹部背部等を多数回にわたり足蹴などされたと主張する痕跡、挙動は認められなかったというものである。また、被告人の右眼を診察した眼科の専門医である河野峰子は、机の角付近で眼の付近を打っても、瞼の上下に皮下出血ができるような状態になる、眼の上の方を打っただけの状態でも、段々重力で下の方に血が広がってくる旨証言し、右北村、河野の各証言も、前記山田の供述による被告人の負傷状況とも矛盾するものではない。

次いで、被告人が着用していた本件シャツの破損についてみるに、被告人は、本件シャツの破損は、四月一三日に取調官から、暴行を受け、あるいは、屋上に連行して自殺に見せかけて殺す旨脅迫されて引っ張られた際に生じたものである旨供述するのに対し、取調官の山田は、当日は、本件シャツは着用していなかった旨証言する。そして、四月六日に被告人を任意同行した警察官山下は、被告人を浦上警察署玄関前で車両から降ろした際、被告人が同行した相勤者を突き飛ばして逃げようとしたため、被告人の左腕付近を掴んで制止したところ、被告人の着用していたカーデガン様のセーターの袖が脱げそうな程に伸びたので、服を破ってしまったかと思ったが、上着は破れていなかった、その下に着用していた衣類についてまで破損の有無を確認しなかった旨証言するにとどまるが、同月七日午前二時過ぎころ、逮捕した被告人を留置場に入房させる際に被告人の身体検査を実施した留置係の警察官古川は、被告人が上に着ていたセーターを脱がせたところ、その下に着用していたシャツの左袖が破れて取れかけていたので、留置場内の危険防止のため、当該シャツを被告人から預かり、保管用ロッカー内に保管した、右当該シャツは現在押収されている本件シャツに間違いない旨明確に証言し、そして、甲一二号証の実況見分調書並びに本田義裕、一ノ瀬通廣の各証言及び甲一二〇ないし一二八号証の写真一〇枚から判断するに、四月六日に実施された被告人使用車両の実況見分時においては、被告人が本件シャツをセーターの下に着用しているが、同月七日午前一一時に撮影された被告人の写真や同月九日午前九時ころに撮影された被告人の写真などからすると、そのころには同じセーターを着用するものの、その下に本件シャツを着用していないことは明らかである。

右各証言等、とりわけ古川証言によれば、本件シャツは、四月七日の時点において既に破損していることは明らかであり、同月一三日の取調べの際に破損したとの被告人の供述は、信用し得ないといわざるを得ない。(なお、四月一三日の取調べ終了後新宮の遺体を確認するため被告人を連れて浦上警察署を出発する際、被告人に着替えをさせていることは山田も証言するところであるが、弁護人らは、右着替えをさせたことは、右一三日の取調べに際して本件シャツが破損したことを裏付けるものであると主張する。しかしながら、山田が証言するように、突然被告人が床に倒れて暴れ出し、その際に着ていた白色トレーナーの背中が汚れたということも十分考えられ、これを着替えさせることも全く不自然な行動とはいえないのであって、いずれにしても被告人に着替えをさせたことが、前記認定の結論を左右するものではない。)

(四) そして、取調の際に受けた暴行、脅迫の状況に関する被告人の供述を子細に検討すると、被告人は、当初、「勾留後の平成三年四月一〇日過ぎころから、取調警察官から、殴る蹴るの暴行を毎日受け、同年五月二三日に拘置所に移監されるまで続いた」旨供述していたが、拘置所入所時に被告人の身体に外傷がなかったとの内容の捜査照会回答書(甲98)が取調べられた後の公判廷において、被告人は、「暴行されたのは、五月上旬までである」旨供述を変遷させており、右各供述内容は、右回答書及び激しい暴行が加えられた痕跡や様子はなかったとの前記北村証言に照らし、いずれにしても措信し難いだけでなく、被告人が再三主張する警察官による暴行脅迫の供述自体において、何らの合理的理由もなく変遷を重ねており、暴行の事実の供述も誇張ないし曖昧なものに終始しているといわなければならない。また、前記右眼の負傷の診断経過についても、被告人は、当初、「右眼の負傷については、失明すれば暴行の証拠となると思い、医師の診断を断った」旨供述していたが、前記北村医師及び河野医師の証人尋問が終了した後の公判廷において、被告人は、「自供したとされる四月一三日に負傷した右眼の診察を要求したが、一八日の北村先生の診察まで診察してもらえなかった」旨供述を変遷させており、当初の供述内容の不合理性を指摘されてこれを変じたものとさえ窺われる。そして、その他にも、被告人の当公判廷における供述経過をみるに、当初の供述を否定ないし打ち消すような証拠が提出されるとその都度供述を変遷させている疑いも払拭できないのであり、とりわけ、ことさら取調べ状況を自己の有利なように仕向けていることは十分に窺われるのであって、取調べ状況に関する被告人の供述は俄に措信できないといわざるを得ない。

右被告人の供述に対し、前記取調関係者の証言内容については、格別不自然な点は見受けられず、前記山田の供述も当時の被告人の供述内容ないし供述経過とも符合している。すなわち、被告人が自供に至った経緯を供述した員面調書(四月一七日付け員面調書、乙6)についてみるに、被告人は、自分の犯した罪が重大であっただけに、なかなか本当のことを話すことができず、逮捕された当初から何度も本当のことを話そうと思ったが、ふんぎりがつかないでいたところ、捜査官から説得されて、四月一三日には本当のことを話すと約束した。しかし、当日も、なお逡巡していたところ、捜査官から一喝されて、やっと話してしまおうと決心して自供を始めた旨供述しているが、右自供に至った被告人の心理状態は十分了解できるだけでなく、被告人の捜査段階における当初の供述経過とも合致するのである。また、取調官である山田の証言についても、逮捕当初から犯行を完全に否認するわけでもなく、曖昧な供述をする被告人に対し、その自供を得るためにねばり強く説得したというもので、右被告人の供述態度からいずれは事件について供述を始めるであろうと予想していたというのであるが、他の証拠からも濃厚に嫌疑を抱いていた取調官が、右のように完全に犯行を否認しているわけでもない被疑者に対し、当初から執拗に暴行を加えるというのは、一般的な判断にとどまるものであるが、不自然であると一応考えられ、取調官として、被告人に暴行、脅迫を加える、いわば動機が薄弱であるようにも思われる。さらに、被告人は、四月一三日以降も移監されるまで、あるいは五月上旬ころまで、執拗に暴行、脅迫を受けた旨供述するが、四月一三日以後の被告人に供述経過にも取調官の強制が加えられた事跡は全く窺われないのである。すなわち、その後に取られた員面調書などの供述内容及び経過についてみるに、特段自供を後退ないし変遷させた様子もなく、右一三日の供述を基に、自己に至った経緯をはじめ、犯行動機、犯行状況、着衣その他の所持品等の確認、説明など順次取調べを受け、素直に供述しており、さらに犯行状況等を再現して説明をもしているのであって、右からしても、取調官が、継続的に暴行を加える必要性も窺われず、そのようにしなければ被告人から供述を得られない状況でもなかったと思われる。なお、四月一三日に被告人が突然暴れ出したことについても、重大事件を敢行した被疑者がその事実を自供するに当たって相当の興奮状態に陥ることは十分了解可能であり、また、右眼を負傷した状況についても、被告人自身、捜査段階において、細かな状況について必ずしも山田証言に沿わない部分があるものの、自らの挙動で怪我したものであること自体は、これを明確に供述しているのである(五月一六日付け検面調書、乙64)以上の被告人の供述経過や自供に至った経緯及び捜査官側の取調経緯や取調べの見込みなどを合理的に理解すれば、右取調関係者の供述には特段不合理な点はなく、十分信用し得るものと考えられる。

そして、新宮千代美殺害及び死体遺棄の事実を供述した四月一三日付け員面調書(乙9)の記載についてみるに、その本文中の殺害場所の記載と同調書添付の被告人記載の見取図の記載は明らかに異なっており、被告人が主張するように、自供が取調官の強要により、見取図が取調官の指示によって下書が準備されていたものであるとすれば、このような不一致を生ずる余地はないはずであり、この点も、山田が証言するように、被告人が重大事件を自供して動揺し、その自供内容を録取する間に、被告人が見取図を作成しており、取調時刻が午後一〇時を過ぎていたことから、そのまま調書として作成したことを裏付けるものというべきである。また、被告人が新宮の死体遺棄現場を案内した状況(四月一八日付け実況見分調書、甲55)についてみても、この段階でもなお躊躇を覚え、あるいは意図的にしたものかは明らかではないが、被告人は何度か違った方面を指示、案内しており、この点からも、捜査官側が既に現場を了解していたとの被告人の主張は、明らかに不合理であり、むしろ、取調官の強要によるものではないことを裏付けるものである。

以上、被告人の供述と取調官の供述を対比し、関係証拠とを総合的に判断、検討すれば、取調べにおいて、被告人に対し、暴行、脅迫その他の強制が加えられた状況ないし事実は、全く認められないというべきである。

2 次に、弁護人は、(1)前記のとおり、四月六日午後二時過ぎころ、警察官山下らが被告人使用車両を発見、追跡した上で、これを停車させ、浦上警察署へ同行されているが、これは事実上の強制連行であり、不当な逮捕行為であって、到底適法な任意同行ではない、と主張するので、この点について判断するに、もとより、捜査において強制手段を用いることは、法律の根拠規定がある場合に限り許容されるものであるが、ここにいう強制手段とは、有形力の行使を伴う手段を意味するものではなく、個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味するものであって、右の程度に至らない有形力の行使は、任意捜査においても許容される場合があるといわなければならない。ただ、強制手段にあたらない有形力の行使であっても、必要性、緊急性なども考慮した上、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容されるものと解すべきである。そして、任意同行の許容性は、同行の求められた時間、場所、任意同行の方法、任意同行を求める必要性、任意同行後の状況等を総合的に判断すべきである。これを本件についてみるに、取調済みの関係各証拠によれば、警察官山下ら浦上警察署の対応は、被告人の行動から嫌疑を抱いてその所在を捜査していたところ、これを発見し、職務質問を実施しようとしたもので、突然、被告人が車両を発進させ、一方通行路を逆行して対向車と接触、停止したものであって、同所において事情聴取するのは不適当であり、被告人に浦上警察署まで任意同行を求めたのは相当である。また、浦上警察署において、被告人から事情を聴取し、併せて令状の発付を得て被告人使用車両の捜索差押を同日午後九時ころまで実施し、その結果、血痕が付着したおしぼりや靴下を発見し、嫌疑が濃厚になった段階で、速やかに逮捕状の請求をなしていることからすれば、警察官山下ら浦上警察署の対応は、公務の適法性を害するとまではいえない。もっとも、前記のとおり、山下の供述でも明らかに認められるように、被告人を浦上警察署玄関前まで捜査用車両に乗車させて同行させた際、突然、被告人が走り出し、これを山下が被告人の左肩付近を押さえて停止させたものであるが、右山下の行為は、被告人を制止するためにとられた抑制の措置と見得るのであって、その制止行為も積極的に暴行に及んだというものではないと認められのであるから、これをもって、捜査活動として許容される範囲を著しく超えた不相当な行為ということはできないといわざるを得ない。

また、弁護人は、(2)取調官の山田らが被告人の弁護人選任権を不当に侵害した旨主張する。しかしながら、被告人は、傷害致死事件において、四月八日に検察官の弁解録取、同月九日に裁判官の勾留質問、さらに同月二六日に再び裁判官の勾留質問がなされており、殺人及び死体遺棄事件についても、同月二八日に検察官の弁解録取、同月二九日に裁判官の勾留質問がなされており、その他にも検察官から取調べを受ける機会があったのであり、検察官あるいは裁判官に対して弁護人への連絡を依頼する機会は十分にあったはずであり、このような申出がなされた様子は一切窺われない。そうすると、弁護人を依頼することを拒否されたという被告人の供述もまたこれを措信することができず、弁護人の右主張も採用の限りではない。

次に、弁護人は、(3)被告人は、逮捕前日の四月六日から、長時間にわたり深夜まで取調べられ、このような取調べが連日なされていたことをもって、供述の任意性を争っているが、取調済みの関係各証拠によれば、四月六日は、午後九時ころ、捜索差押が終了し、逮捕手続に移行し、弁解録取の手続もあって、深夜に及んだことはやむを得ないものと判断せざるを得ない。その後の取調べにおいては、食事や休息を取らせず、長時間にわたって殊更深夜まで取調べを継続的に行ったという事情は窺われない。もっとも、四月一三日深夜、新宮の遺体の発見、確認のため、被告人を同行させているが、これまで新宮の行方が分からず、被告人が新宮を殺害し、死体を遺棄したことを自供したことから、早急にこれを確認する必要があり、その意味で右措置は緊急やむを得ないものであるというべきである。その他、弁護人の主張する取調時間などが被告人の供述の任意性を損なったと見られる状況は全く窺われないといわざるを得ない。

さらに、弁護人は、(4)被告人は、自供に至る四月一三日の前にいわゆるポリグラフ検査を受け、取調官の山田から検査結果に反応が出た旨の虚偽の事実を聞かされ、いわば偽計によって自白が強要された、旨主張する。右検査の実施さらにはその検査結果については、証拠上明らかではないが、右主張は、被告人が当審理の結審間近かの段階になって初めて主張してきたもので、公判審理の終結段階に至るまで、一切その旨の主張をしていないこと、偽計によって自白が強要されたことが真実であるならば、当初から主張ないし繰り返し供述することが可能であったはずであり、これらの供述ないし主張の経緯に照らせば、被告人の右主張は到底措信できず、弁護人の主張もまた採用の限りではない。

なお、弁護人は、さらに、(5)検察官による取調べの際には暴行、脅迫を受けたことはないが、右取調当時も被告人は浦上警察署の留置場に留置されており、同署における暴行、脅迫による威圧のもと、被告人は、警察官に対する供述と同様の供述をしたにすぎないと主張するが、前記のとおり、警察官による暴行、脅迫の事実は一切認められない以上、右主張もまた採用できない。

三  以上、検討したとおり、取調状況に関する被告人の公判廷における供述は、措信することができず、捜査の違法等を理由とする主張もいずれも採用の限りではない。その他、被告人の捜査段階における供述の任意性に疑いを抱かせる事情は何ら認められないというべきである。

第三  被告人の自白以外の証拠により客観的に認定することができる重要な状況事実とこれに関する被告人の弁解の検討

本件においては、もとより、犯行状況等を目撃した証人は存在しないが、犯人と被告人との同一性を窺わせる客観的な状況事実が認められるので、まず、これらの状況事実とこれに対する被告人の弁解を検討することとする。

一  尊属傷害致死事件について

(一) まず、四月八日付け実況見分調書(甲12)及び同月六日付け捜査差押調書(甲13)等によると、被告人の使用していた車両トランク内から、血痕の付着したおしぼり等三枚、血痕の付着した靴下一足などが在中する黒地に水玉模様の手提げ紙袋が発見領置されており、同月一〇日付け鑑定書(甲15)によれば、右血痕の付着したおしぼり等三枚及び靴下一足の計四点に付着する血液は、いずれもO型の人血で竹下カズ子の血液型に合致し、同月二三日付け鑑定書(甲17)によれば、右おしぼり等三枚に付着していた毛髪も竹下カズ子の頭髪に類似しており、同月二四日付け鑑定書(甲35)によれば、被告人が本件犯行当時着用していたセーター左袖口及びズボン左右の裾に血痕が付着し、そのうちズボン左右の裾の血痕が竹下カズ子の血液型に合致している。

(二) 次に、四月二四日付け捜査報告書(抄本、甲24)及び中園一郎の検面調書(甲25)によれば、右中園が本件犯行から一九日後の四月二二日に被告人の前頸部を診察した結果、被告人が犯行時に竹下カズ子から引っ掻かれたと供述する頸部には、右側頸部に右上方から左下方に向かう長さ約一・三センチメートルの線状断続性の表皮剥奪等が認められ、右損傷は軽微なものであるが、黒褐色痂皮を伴うことから受傷後一か月以内の傷で、本件犯行時に受傷してから一九日後の診察時の痕跡としても矛盾がないと判断され、四月一三日付け鑑定書(甲29)によると、竹下カズ子の左母指及び左中指の爪から被告人の血液型と同型のB型の血液が検出されている。

(三) 被告人の公判廷における弁解内容について

被告人は、当公判廷において、竹下カズ子に対する尊属傷害致死の事実についても種々弁解するところであるが、要するに、四月三日午後七時前ころ、スナック「淳」に赴いたところ、店舗奥和室において、既に竹下カズ子が怪我をしており、口などから出血していたもので、その血を拭いたおしぼり等を持っていたに過ぎないというのである。

しかしながら、被告人は、竹下の出血状況について、当初、「かなり出血していた」旨供述していたが、何故に適切な処置等を講じなかったのか疑問を呈せられると、「お袋の出血はたいしたことはなかった、お袋は、病院には行かなくてもいいと言った」などと供述を容易に変遷させているだけでなく、本件おしぼりの血痕付着状況からすると、かなりの出血があったことが窺われ、前記死体解剖の鑑定書(甲4)によれば、竹下カズ子のいずれの損傷も同一時期、同一機会に成傷されたものであり、また、前記認定の現場の状況及び死体の状況等からして、同女の損傷は、かなり強度の暴行によって成傷されたものと推測されるのであって、被告人が弁解するように、竹下カズ子が既に右鑑定書で明らかにされた重症を負っているにもかかわらず、竹下が大したことはない旨返答するのは極めて不自然であり、また、店で使用するおしぼりを持ち出したりした被告人の挙動は不可解であるのみならず、その後怪我の状態を心配してスナック「淳」を訪れることも連絡をとろうとしたこともないなどの被告人の行動は、右弁解内容と著しく齟齬するものといわざるを得ない。さらに、前記竹下カズ子の左手爪から被告人と同型の血液が検出されていることについて、被告人は何らの説明もしていない。

右のとおり、被告人の弁解内容は、客観的事実にも反し、不合理かつ不自然であって、到底措信し得るものではない。

二  殺人等事件について

(一) まず、被告人使用車両の四月一四日付け検証調書(甲57)によれば、フロントガラス内側に、上方から下方に履物で擦ったような痕跡が三本認められ、後部座席中央やや左側には、ルミノール反応の滴下痕が認められ、また、運転席シート半カバー背もたれ部の助手席側面に、縦約一五センチメートル、横約一七センチメートルの血痕の付着が認められ、右血液の鑑定書(甲60)によれば、同シート半カバーに付着した血液は、B型Hp2―1型であり、新宮千代美の血液型に合致している。さらに、ルームミラーには、足あと痕が印象されており、足あと痕の鑑定書(甲64)によれば、その足あと痕は、新宮千代美が右足に履いていた靴と同種で底の部分も類似するものと認められている。

以上からすると、車内において、暴行がなされ、これに反抗したような状況が窺われる。

(二) 次に、何よりも、四月一三日に実施された状況見分の経過(甲55)、その他、前述の取調経過から明らかなように、被告人が自供したことにより、新宮千代美の遺体を発見することができたという事実は極めて重要である。

(三) 被告人の公判廷における弁解内容について

被告人は、当公判廷において、新宮千代美殺害及び死体遺棄事件についても、種々弁解するところである。

右にみた客観的事実につき、車内の血痕付着状況について、被告人は、以前新宮がパンを食べていて八重歯で唇を切って、出血し、ティッシュでこれを拭いて後部座席に捨てる際に付着したものであるなどと弁解するが、前記客観的な血痕付着状況に照らし、被告人の弁解が不自然かつ不合理であることは多言を要しないところである。また、自ら案内して新宮千代美の死体が発見された状況についても、被告人は、遺体を確認していないので新宮千代美は死んでいない、死んでいたとしても誰かが殺害して遺棄したものであるなどと供述するが、これは極めて荒唐無稽な弁解であるといわざるを得ず、到底措信できないというべきである。

第四  被告人の自白の信用性について

一  概括的評価

前記のとおり、被告人は、四月一三日以降、尊属傷害致死事件、殺人及び死体遺棄事件の両事件について、自白するに至ったものであるが、その任意性については前記のとおりこれを肯定することができ、また、自白内容は一貫しており、その信用性についても基本的にはこれを認めることができると判断するものであるが、以下、証拠上明らかになった事実に裏付けられた部分と対比しながら、右自白内容が措信し得るかを、検討、判断することとする。

二  具体的内容について

1 「秘密の暴露」について

被告人の自白ないし自供の内容において、真犯人でなければ知り得ない事実が含まれているか、すなわち、いわゆる「秘密の暴露」に該当するかは、被告人の自白の信用性を判断する上で極めて重要であることはいうまでもないところである。

本件において、右いわゆる「秘密の暴露」が存在するのかは、前記のとおり、被告人が四月一三日に新宮千代美の殺害及び死体遺棄を自供し、直ちに、被告人の案内によって新宮の遺体が発見されたことは、正しく真犯人でなければ知り得ない事実であって、被告人の自白の信用性を大きく基礎付けるものというべきである。

その他の状況について、客観的証拠と対比すれば、以下のとおりに認定し得るものである。

2 尊属傷害致死事件について

(一) 動機の形成について

被告人が、竹下カズ子に暴行を加えるに至った動機は、前記犯行に至る経緯記載のとおり、預けていた現金のうち三〇万円が不足しているとして詰問したところ、同女から居直って言い返されたとこに激昂したというもので、被告人が新宮千代美から合計二七〇万円の現金を借り受けていたことは被告人も公判廷においてこれを否定せず、四月二二日付け(甲68)及び同月二四日付け(甲36)各捜査報告書によって十分に裏付けられており、竹下が三〇万円を費消した事実を直接証拠により裏付けることはできていないが、四月八日付け実況見分調書(甲12)によれば、被告人使用車両のトランク内から、現金一四〇万円及び一〇〇万円、合計二四〇万円が発見領置されたもので、右被告人の供述と合致するものである。

(二) 犯行状況について

被告人が自供するところの竹下カズ子に加えた暴行の態様は、判示のとおりであるが、右暴行態様に関する被告人の供述は、竹下カズ子の死体解剖鑑定書(甲4)によって認められる同女の損傷、受傷状況と合致し、スナック「淳」店内の実況見分調書(甲5)及び血痕付着状況捜査報告書(甲6)における歯牙の散乱状況や血痕付着状況などから窺われる現場の状況も被告人の供述と符合するものである。また、被告人の自供する本件暴行態様と竹下カズ子の死亡との因果関係も、右死体解剖鑑定書(甲4)によって、明らかである。

(三) なお、被告人が竹下から引っ掻かれ頸部に損傷を負ったことや店内からおしぼりなどを持ち出した経緯等犯行後の状況については、前記のとおり、客観的に認められるところである。

(四) 以上のとおり、被告人の本件に関する自供は、いずれも客観的状況に符合し、内容においても、不自然又は不合理な事情は特段見受けられず、その信用性は明らかである。

3 殺人事件について

(一) 犯行前の状況及び動機形成について

被告人が、新宮千代美と同棲し、同女から金員を引き出していたことについては、前記犯行に至る経緯記載のとおりの自供がなされているところ、その間の事情については、前記四月二二日付け(甲68)及び同月二四日付け(甲36)各捜査報告書、とりわけ右四月二二日付け捜査報告書添付の新宮千代美の日記帳写しの記載等から窺われ、右自供と符合する。

また、被告人が、新宮千代美を殺害するに至った動機は、その供述によれば、竹下カズ子に対する反抗を敢行した際、スナック「淳」の店舗付近路上に駐車した車両に新宮を待たせていたことから、四月五日午後九時前ころ、テレビで右事件報道がなされた際、新宮から疑惑を抱かれ、判示犯行に至る経緯記載のとおり新宮の殺害を決意したというものであるが、右スナック「淳」の店舗付近路上に駐車した車両に新宮を待たせていた事実は、被告人も公判廷において否定せず、また、松川一二の検面調書(甲43)から明らかであり、四月五日午後九時前ころ、テレビで右事件報道がなされた事実は、五月一〇日付け捜査報告書(甲65)によって自供と客観的にも符合する。

(二) 犯行状況ないし犯行態様について

被告人が新宮千代美を殺害した具体的状況は、判示記載のとおり自供するものであるが、その殺害方法に関する供述は、新宮千代美の死体解剖鑑定書(甲54)で明らかにされた同女の死体の状況と客観的に合致し、前記第三の二(一)認定のとおり、車内の痕跡状況及び血痕付着状況等も他の客観的証拠と矛盾なく整合し、右自供にかかる本件殺害状況を裏付けるものである。

そして、被告人が四月一三日に新宮千代美の殺害及び死体遺棄を自供し、直ちに、被告人の案内によって新宮の遺体が発見されたことは、正しく真犯人でなければ知り得ない事実であって、いわゆる「秘密の暴露」に該当し、本件において、被告人の自白の信用性を大きく基礎付けているということは、前述のとおりである。

(三) 以上のとおり、被告人の本件に関する自供は、いわゆる「秘密の暴露」を含み、また、いずれも客観的状況に符合し、内容においても、不自然又は不合理な事情は特段見受けられず、その信用性も明らかである。

三  その他弁護人及び被告人の種々の主張に鑑み、関係証拠を精査しても前記認定に影響を及ぼすべき事情は見い出せない。

第五  結論

以上詳述したように、本件においては、被告人と本件各犯行との結び付きを裏付ける数々の状況証拠が存在し、また、被告人の自白も内容において詳細かつ具体的であり、右状況証拠によって、十分裏付けられ、その信用性も合理的に認められるのであって、以上を総合すると、結局、判示各事実を認定するについて、合理的疑いを容れる余地はないものというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、刑法二〇五条二項に、判示第二の所為は、同法一九九条に、判示第三の所為は、同法一九〇条に、それぞれ該当するところ、判示第一の罪について所定刑中有期懲役刑を、判示第二の罪について所定刑中無期懲役刑を、それぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、判示第二の罪につき無期懲役刑を選択したので、同法四六条二項本文により他の刑を科さないで、被告人を無期懲役刑に処し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、先に預けていた金員の一部を費消されたものと思い激昂した被告人が、実の母親に暴行を加え、これを死に至らしめ、その後、同棲していた女性に右犯行を察知されるや、自己の犯行を隠蔽するため、同女を殺害し、その死体を遺棄したという事実である。

一  被告人が右一連の犯行を決意するに至った動機については、被告人の捜査段階における供述その他関係証拠によって認定された判示本件各犯行に至る経緯等記載のとおりである。

すなわち、本件尊属傷害致死事件についてみるに、被告人は、平成三年一月ころから、妻の病状が末期的となり、このころから同女に付き添うようになった同女の実父から、看病に現れないことなどを責められ、ますます妻の看病に当たることもなくなる一方で、他の女性と同棲し、無為で怠惰な生活を送りながら、右妻の看病や自己の生活保護費の引出しまで、実母竹下カズ子に依頼し、その催促までしていたところ、同女がこれに応じておらず、妻の葬式費用に充てようとして預けていた金員を右竹下が費消したとして激昂し、右竹下に対し、暴行を加え死亡させたものである。また、本件殺人及び死体遺棄事件についてみると、被告人は、右実母竹下に対し暴行を加えた際、同棲相手の新宮千代美を車に待たせていたことから、右実母竹下が死亡したとの報道について右新宮から問い詰められ、同女に自己の犯行を察知され、同女との関係が破綻するにとどまらず、同女から自己の犯行が他に発覚することを恐れて、これを殺害し、人気のない道路側溝に同女の死体を遺棄したものである。

このように、被告人は、これまで自己の求めに言うなりになっていた実母が、その意に背き、冷たい態度に終結したことから、右実母の態度に正に身勝手な怒りを覚え、自分の意のままにならないことに苛立ち、預けていた金員の一部が不足していることをみとめるや激昂して暴行に及ぶなど、自己の怠惰かつ他人に依存する生活態度などを全く省みず、単に自己の意に沿わない態度をみせる実母に対し、直ちに暴力を加えたというもので、極めて偏頗かつ自己中心的な被告人の性格傾向が見受けられ、また、当時同棲していた新宮千代美に対しても、実母に対し暴行を加えて死亡させたことを察知され、不審の念を抱かれるや、自己の犯行が発覚することを防ぐため、何らの躊躇のないまま、直ちに同女の殺害に思いを至らせたものであって、そこに被告人の凶悪な犯罪的性格の発露もみられるのであり、結局、右本件各犯行に至る経緯、動機形成において、酌量すべき事情は何ら見出し難いといわざるを得ない。

二  次に、本件各犯行の態様をみるに、尊属傷害致死事件においては、被告人は、本件犯行現場であるスナック「淳」の奥和室において、横に座っていた竹下カズ子に対し、手拳でその顔面を数回強打し、邪魔になる炬燵を押し退けて、座ったまま同女の腹部や胸部を足で蹴り飛ばし、テーブルに頭部を強打させ、さらに仰向けに横たわった同女の胸腹部を立ち上がって踏み付けるように数回足蹴にした上、なおも呻き声を上げている同女を蹴り付け、踏み付けるなど、何ら容赦することなく、執拗かつ残忍な暴行を加え、このような暴行によって、同女に対し、顔面の筋肉内及び骨膜下出血のほか、上顎歯牙の欠損、両顎関節脱臼、胸骨横骨折及び左右肋骨の一六か所にも及ぶ多発骨折の傷害を負わせ、結局、硬膜下血腫により死亡させたもので、右死体の状況及び現場の状況などからみても、極めて強烈な暴行を加えたことが窺われ、その態様は、誠に残虐というほかはなく、実の母親に対する所業として常軌を逸しているといわざるを得ない。しかも、被告人は、犯行直後に、重症を負わされたものの同女がまだ生きていることを確認しながら、何ら適切な処置を施すこともなく、同所にあったおしぼりなどで血痕を拭き取った上、非情にも同女を同所に放置してその場を立ち去ったものであって、このような犯行後の態様なども極めて悪質であるというほかない。

次いで、殺人及び死体遺棄事件については、被告人は、新宮千代美を殺害しようと決意するや、同女を勤務先に送る際に一気に首を絞めて殺害しようと計画し、同女を車で送るように装って、駐車場に駐車していた車両助手席に同女が乗り込むやいなや、同女の首を両手で掴んで絞め上げ、同女が驚愕と苦悶から助手席の背もたれをずり上がり、両足をばたつかせてもがくのを全く意に介さず、さらに同女の首を絞め上げ続け、同女を頸部圧迫により窒息死させたものであり、本件犯行が強固な確定的殺意に基づくことは明らかであり、また、同女に実母を死に至らしめた犯行を察知され動揺しながらも、冷徹に殺害方法を考えるなど計画的に犯行に及んでいるのであって、被告人の所業は、人命を全く無視した冷酷、非情な犯行といわざるを得ない。また、被告人は、右新宮を殺害した後、同女の脈を取ってその死亡を確認した上、死体を隠すため、人気のない山道まで同女の遺体を運び、側溝内にこれを隠匿、遺棄したもので、その後も、直ちに同女方アパートに戻り、翌朝、無断欠勤を心配して訪れた同女の職場の同僚らに対しても、平然と対応しているものであって、死体を遺棄した上同女の行方不明を装おうとした計画的行動であるといわざるを得ず、誠に悪質な所業以上、本件各犯行の態様は、終始自己の身勝手な思考態度から、自己の意の赴くままに他人の生命、身体を全く考慮しないという憎むべき態度で貫かれており、犯行の具体的態様も凶悪極まりないといわざるを得ない。

三  本件は、かけがえのない被害者両名の生命を奪った事犯であり、その結果が重大であることはいうまでもないところである。

竹下カズ子は、被告人を筆頭に三人の子供をもうけたが、昭和四六年に夫と離婚し、その後は一人でスナックを経営しながら細々と生活していたものである。そして、同女は、母親として、服役を何度も繰り返していた被告人を見捨てることもなく、定職に就かず生活に窮していた被告人の無心に応じて小遣いを与え、あるいは、被告人を自己のアパートに同居させるなど、被告人の面倒をみてきたものであり、被告人の求めに応じて、被告人の妻の看病や被告人の生活保護費の引出しにも赴いていたのである。このような母親である竹下カズ子に対して、被告人は、同女が自己の意に反する態度をとり、同女に預けていた金員の一部が不足していたことをみとめるや、それだけのことで激昂し、前記のとおり、肉親に対する所業としては常軌を逸するほどの凄惨極まりない暴行を加え、挙げ句の果て、同女を死亡させるに至ったもので、これまで散々苦労をかけさせられた実の息子から、右のようなひどい暴行を容赦なく受けた竹下カズ子の苦痛や恐怖感は容易に想像できるだけでなく、死の淵で思ったであろう無念さは、誠に察するに余りあるといわなければならない。

また、新宮千代美は、高等学校を卒業した後、実家が決して裕福な家庭ではなかったことから、自ら看護婦を目指して病院で働きながら看護学校に通い、昭和六三年に資格を取得して、看護婦の職務に精励していたものであり、その真面目で明朗な性格から、職場の同僚や上司からも信頼され、希望に満ちた人生を堅実に歩んでいたものである。ところが、判示犯行に至る経緯記載のとおり、同女は、被告人と知り合うようになり、被告人の誘いに応じて情交関係を持ち、平成二年一一月ころからは、被告人が同女方に入り浸り同棲するに至り、その求めに応じて被告人に多額の金員を貸し与えるなど、被告人を信頼していたもので、金員の返済を巡って、被告人に首を絞められるなどの暴行を受けたこともあったが、被告人との関係を解消するまでには至らなかったところ、本件犯行当日においても、竹下を死に至らしめたのは被告人ではないかと察したものの、被告人がその犯人であるとは俄には信じられないまま、被告人から殺害されたものである。このようにして、同女は、いきなり被告人から首を絞められ、驚愕と苦痛からもがき逃れようとしたが果せず、苦悶のうちに窒息死したもので、突然、被告人の凶行によって非業の死を余儀なくされた同女の無念さは、察するに余りあるものといわなければならず、死に至る際、同女の脳裏に去来したものはいかなるものであったか、誠に心痛の極みである。しかも、殺害後、山道の側溝内にうち捨てられ、遺体発見時には、死体の腐敗も進み、生前の面影もなく変貌し、このような被害者の変わり様、その悲惨さは、遺族や同僚の悲しみは当然のこと、目を覆うばかりである。

そして、遺族らの悲嘆のほどは計り知れず、現在もなお深刻な精神的打撃を受けているものと推察され、その被害感情及び犯人に対する処罰感情には極めて厳しいものがあるが、その心情、無念さは察するに余りあり、肉親の情としては当然の心境として理解し得るものといわなければならない。

四  被告人は、捜査段階において、本件各犯行を自供し、悔悟の言動も示していたが、公判段階に至って、全面的に否認に転じ、平然と、極めて不自然かつ不合理な弁解に終始して自己の罪責を免れようとしており、反省、悔悟の情が全く看取されないことは、当裁判所としても、誠に遺憾であるといわざるを得ない。

加えて、被告人が、矯正施設内で更生への教育をこれまで幾度となく受けながら、何ら自己の生活態度などを改めず、本件各犯行に至ったことからすると、被告人の犯罪傾向や性格は強固であり、その矯正も容易ではないといわざるを得ない。

五  以上の諸事情を総合すると、被告人の罪責は極めて重大であるというほかはなく、その刑事責任は厳しく追及されて然るべきである。

そして、前記のような、本件各犯行の罪質、動機、態様、結果の重大性、犯行後の状況、遺族の被害感情ないし処罰感情、被告人の年齢、前科、公判廷における態度等諸般の情状を併せ考察したとき、更生の余地はないとして、被告人に対して無期懲役刑をもって臨むべきであるとの検察官の科刑意見は十分に了解し得るものであり、もとより、実母に対する犯行は、殺意に基づくものではなく、また、偶発的に敢行された事情も認められないわけではないこと、被告人が捜査段階で供述しているとおり、実母竹下が被告人から預かっていた金員を費消しているとすれば、同女にも落ち度がないわけではないことなど、これら被告人に有利に斟酌し得る事情を最大限考慮した上、当裁判所は、刑の選択について慎重に検討を重ねた結果、前述した罪責の重大性に徴すれば、なお被告人に対しては、人間の生命の尊さとこれを奪った自己の罪の重さを真摯に思い至らせ、その反省、悔悟とともに被害者らの冥福を祈らせるべく永く贖罪の生活を送らせるのを相当と思料し、無期懲役刑をもって臨む以外にないとの結論に達した次第である。

よって、主文のとおり判決する。

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